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5.誰か俺をつかってくれー!

-サンフランシスコ市立大学の卒業式 大学に入学してから2年と半年かけて、やっとこの日がやって来ました。大学の学生の人数が8万人で、全米一の大所帯ならではの卒業生5千人が一同に集う大きなイベントです。卒業生が全員赤色のマントに身を包み、ボンボリのブラブラした四角い帽子をかぶって入場です。サンフランシスコ市立大学のスクールカラーが赤なので、全身赤色で会場は、5千人の赤で覆われました。入場を見守る先生方の黒のマントには、ゴールドの派手なラインが入り、本数により各先生の最終学歴が表わされています。日本より厳しい学歴社会のアメリカでは、最終学歴により出世できる役職が決まってくる会社が多いのも事実です。多くの学生は大学卒業して夜学で大学院、博士号と勉強を続けるのもその為です。 さて、この卒業式の先頭に入場する名誉が与えられるのは、AAAクラブといいなんと入学してから卒業するまでのすべての学科、単位でAを取った人たちのグループです。つまりオールAで卒業する人たちに敬意を表して白のたすきを掛けさせて、見る人全員にわかるような演出です。その白いたすきをした50人の集団の後が、われら留学生組です。日本男児は「着物にちょん髷」と決めていたので、一年掛りで髪を伸ばし、着物にせったをはいた姿を赤いマントで包み、いざ壇上へ。一人ずつ卒業証書をいただき、最後に帽子のボンボリをみんなでいっせいに右側から左側に“えいっ”とばかりに跳ね上げて、卒業の儀式は終わりです。 後は、卒業生総代のフィリピン系アメリカ移民のロバートが祝辞を述べて、彼のバンドが感謝の意味を込めてミニコンサートを5千人の卒業生の前で行いました。最高に盛り上がって忘れられない卒業式となりました。 -就職活動スタート 感動の卒業式の翌日、早速就職活動開始です。ほとんどの日本人留学生は、卒業式の翌日に帰国しました。「花関係の仕事をアメリカでやる!」と決めていたので、1年間のプラクティカルトレーニングビザを申請しました。アメリカでの職安にあたる場所へ行き、一日中長い列に並びやっとの事でカードを作ってもらいました。これがあればアメリカで合法的に一年間仕事ができます。アメリカの大学には、就職指導室などある訳もなく自分で電話して仕事を探すのです。5年前のアメリカは不景気のどん底で、失業者は街に溢れ、ホームレスはいたるところに寝ているような状況だったのでそう簡単に職が見つかるはずもありません。30通ほどの履歴書と大学からの推薦状を郵送で送って、片っ端から花の輪出入をしている会社に電話して自分を売り込みました。しかし一か月経っても一件も会ってさえ貰えない!「こんなはずでは、、、。」と思いつつも卒業してからの1年間はどんどん短くなっていきます。電話が駄目なら直接行くしかない!と腹を括り、いざサンフランシスコフラワーマーケットに乗り込みました。このマーケットには、50社前後の問屋が集まり全米でもシカゴに次いで2番目に大きなフラワーマーケットです。その中の一番大きいシバタフローラルカンパニーという日系三世の経営する会社とジョブインタビューにこぎつけました。たどたどしい英語を聞いて心配になったのか、社長の母親の通訳まで同席してのインタビューとなり、自分のこれまでの経歴の紹介から始まって、将来、花の貿易を日本でやりたい事などを話して、自己PRしました。どうにか無事に英語でのインタビューを終えて、来週からめでたく働く事になりましたが、勤務時間を聞いてまたビックリ!朝の2時~10時までの8時間だって!どうやって起きるの? -さーて、働くぞー! かくしてめでたくアメリカでの就職見つけた翌週から朝AM1時に起きて(AM1時はアメリカの花業界では朝と呼ぶ)2時に出勤という生活が始まった。6時間の睡眠を確保するために、夕方6時に耳栓とアイマスクをして布団をかぶる。外は明るいし、うるさいし。しかし寝なければ明日の仕事が、、、。アメリカの花業界で働き、生き残りをかけた一年間が始まりました。 -スパニッシュを話す仲間たち 仕事の当日、シバタのスタッフに自己紹介しました。イエモー、フェルナンドー、など初めて聞くメキシコ人の名前です。スパニッシュ訛りと日本語訛りの英語で会話をしつつ、仕事を教えてもらいます。最初に担当した花は、ローズです。常時30種類以上あるローズの名前を覚えて、それを包んで売上伝票に書き込んでいきます。赤のローズだけでも7~8種類あるものを色の微妙な違いや、花びらの巻き方で名前を言い当てて書き込んでいきます。あー何度間違えた事か!朝早くて寝ぼけているし、元々記憶力に自信がないので、ローズが夢に出て来てうなされた最初の三ヶ月でした。次に担当したのが輸入花のセクションです。さすがにアメリカの花問屋です。オランダはもちろん、南米のコロンビアやエクアドルを始め、ランの花はタイからもやってきました。特に印象的だった花は、オランダからの1m近くの大きなフレンチチューリップや南米からの拳大のローズなど今まで見た事もない花たちです。あーこれが将来自分が日本でやってみたい花の貿易で取り扱う花たちと思うと、朝1時に起きる事も苦にならなくなるから不思議です。夢は、生きていく力になる事を身を持って実感したアメリカでの就職体験でした。
夢のウェディングブーケレッスン